FannyMaeと俺。

人には帰る場所がある。
俺にはその他に行きたい場所もある。
およそ10年前だろうか。
私は大阪の浪速区恵美須に住んでいた。
理由は二つ

自分にストイックであるため。

恵美須町は新世界のすぐ近くでありながら、夜になるとホームレスが眠りに来る
ベットタウンである。
幸い、私はホームレスの一歩手前で済んだが、当時は何時転落してもおかしくない
経済状態であった。
ただ、この頃は非常に充実していて僕の家には夜になると誰かれ構わず遊びに来ており
モノラルトークもこの頃考え出されたのだ。
この場所に住みサボるという事は、次はホームレスしかなかったのだ。
まさに私にとってのバウンダリーズを設ける為だったのだ。

次にミナミに近いという事。

これは、当時車を所有しておらず、仕事場であるミナミまで自転車で行く必要があった。
ライブやREC、練習等は基本的に深夜に至る事も多く、交通手段的にも
地理上の問題としてミナミに近い必要があったのだ。

その時期に通い詰めたBARがある。
「ストーンズとブルースでのんで屋"FannyMae"」である。
この店のふぁにますコト、新堂氏に影響を受けた人は少なくない。
ここに通っていた時には、ホントに多くの事を考える機会に恵まれたのだ。
当時、プロギタリストとして何となく暮らせていた私は妙なプライドを持っていた。
自由に演奏するアマチュアの人に対してある種の優越感を持っていた。
それはコンプレックスだ。
今考えれば、人の事はほっとけば良い訳で全く無意味だが、当時は妙なこだわりが
俺の成長や音楽的見識にリミットをかけていた。
酔っぱらいきったおっさんは突然ギターを弾き出す。そんなおっさんより俺の方が
上手いに決まっている。でも、一緒に演奏すると「楽しい」が芽生える。
その演奏を聴いている、いかしたギャルからチヤホヤされる。
それでええやんって事が分かれば急に道は開ける。
ふぁにますに影響を受けた人は少なくない。
彼は答えを教えてくれない。
いつも「もうわかってんにゃろ?ビシッと行っとけ!」しか言わない。
誰にでも。
店は鰻谷にあった。色々事情があって存亡の危機に直面した。
あの時、誰かれ言いだす訳でもなく店の存続を願い動いた。
結果、店は救われた。存続した。
FannyMaeから次第に足が遠のいた。ミナミを離れたからだ。
そして、2代目の店は俺の知らない所で危機を迎え、救われなかった。
潰れたことも知らなかった。
ある晩電話が掛かってきた。M4の社長からだ。
彼はふぁにますの同級生だ。
「FannyMaeが復活するんや。今度は頑張って欲しいからイイダも行ったって」
別に社長はマスターに頼まれた訳じゃない。
ちょうど俺は音楽教室の経営に乗り出した頃だ。
申し訳ないが全然行けなかった。
この日記の時点でも行けてない。
せめて、一人でもFannyMaeを体験してくれる人がいればいいなぁと思って書いた。
FannyMaeでの楽しい思い出は全て覚えている。
でも、何回行ったかは思い出せない。毎日行っていた時もあるからね。
家呑みが流行っていると聞く。でも、家では味わえないものが外呑みにはある。
だって、家にはふぁにますはいない。居たら居たで困るがw

楽しい話はまた今度するとして、まずは体験してみな。
なんか変わるから。君にとっての刺激的な出会いになるからね。

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